まのぱぺ相談室

常識を疑うことの大切さ。発達障害と人生設計

こんにちは、まのです。

今年の5月からフリーランスとして活動を開始したこともあり、それまでの病院勤め時代とは大きくライフスタイルが変わりました。
特に10~11月にかけては僕が節操が無かったこともあり大変慌ただしく、連日仕事や勉強会の入れすぎで不意に「あれ、なんかずっと休みとってなくない…?」と気づくという、なんともADHDらしい生活を送っておりました。

ただ休みこそないものの、非常に自分の性に合っているというか…オーバーワークに注意は必要ですが生活自体には満足している日々です。

こんな日々の中、改めて実感したのがタイトルの件。
今まで常識だと思っていたものは、本当に自分にとっても適した考え方だったのか…?
ということです。

これは考え出せばとてつもない文量になりそうな壮大な話であり、そもそも答えなど存在しないのでしょうが…。
本日も長くなりすぎないよう気を付けながら、考えていることを書いてみたいと思います。

発達障害がある方は定型発達の方より人数として少数派

常々僕は、発達障害というものは世間の中で少数派であれど、定型発達の方と比べ劣っているとか優れているとかの物差しになるものではないと思っています。

定型発達とされる方でも尊敬できない人はいますし、その逆もしかり。発達障害に該当する=不幸、というものでもないと思います。
それぞれの方にはそれぞれの、人生や価値観、環境、苦労といったものがあり発達障害とされる特性はその中の一面にすぎません。

ただ一方で、人口の中で少数派というのは事実です。
人類が歴史を重ねる中で、世の中は多数派にとって便利なシステムや思考といったものが主流となっています。人数が多い以上、それは自然な流れです。

SNSなどの普及により、少しずつ発達障害を含むマイノリティとされる方々の発信力が強まっている世の中ではありますが…。
一方で、マイノリティに合わせて世間を変えるというのも限界があるでしょう。
残念ながら、人は誰しもが違う考えを持ち合わせて生きているのですから…すべてをマイノリティ側に合わせろ、というのもそれはそれでエゴになってしまいかねません。

今までは多数派の声が強すぎたのに対し、現代はマイノリティも主張しやすくなったことから双方ができる範囲で歩み寄る。
その落としどころを探っているのが2024年現在の世界かもしれません。

さて、ここからが大事なのですが…
現代社会の常識とされる様々な事柄を、それぞれの人が鵜吞みにしていいのだろうか?
という疑問についてです。

良い学校を出て、給料・休日・社会的ステータスに優れ安定した仕事を選びなさい。
とにかく大学を出たら就職をしなさい。
老後のことまで考えたら我慢も大切。
やりたいことをやって生きるなんて甘え。
お金にならないことを突き詰めても意味が無い。

なんて、自分も学生時代はこうした内なる声に突き動かされて進路を決めたなあ…と思うのです。
実際にはこの内なる声は、自分自身が考えたことというよりはそれまでに植え付けられた強迫観念にも近いような気がします。

これらの考え方は、何も間違っている!とは思いません。
ただ、誰にでも当てはまるものではないよな…と今になって思います。ましてや発達障害という少数派の傾向をもつ人たちからすれば、こうした固定観念に縛られるのは自分が活躍できる場を狭めてしまっているような気がしてなりません。

少数派の人が生きやすいように世の中全てを変える、というのは現実的な方法ではありません。少なくとも時間がかかることでしょう。
だからこそ、発達障害がある側の方たちは多数派が作った常識を疑うことが大切だと思うのです。
世の中の雑音に捉われず、世界で1人だけの自分に合った道を探した方が有意義かも
、ということですね。

衝動のままに生きる若者たちを見て思ったこと

今回このような記事を書くに至ったのは、最近出会った方々から感じるものがあったという背景があります。
フリーランスになったことで、病院勤め時代には関わることのなかった方々とお話しできる機会を多く得ています。

中でも印象的だった方々のお話しを書かせて頂きます。
若者、なんて言葉を使うと自分が急に歳をとったように感じてちょっとビビったりしてますが…アラフォーの僕とそう離れているわけではない彼らですが、眩いほど若者としか言いようがないオーラを出しておりました。

まず一人目の方は、海外の方向けのユースホステルを複数経営している方でした。
お会いしたのは、まのが隙間時間に入れたタイミーでのお仕事でです。タイミーを入れるから休みがなくなるんだろうというツッコミは、どうぞ心の中にお収めください。

この方、コロナ禍で一度経営が傾きかなりの物件を手放したそうで…しかしその間に勉強しまくり資格をとり、宿の仕事が無い間にも収入と勉強を両立させていたとのお話しでした。
「あのときは朝まで勉強して二郎系のラーメンを食べてそのまま気絶するのが日課だった」
と、誇らしいのかよく分からないエピソードを語っておられました。

現在インバウンドが絶好調で宿の経営も息を吹き返し、失った物件以上に拡大を図っているとのことで…非常にエネルギッシュに現在進行形の夢を語る姿が印象的でした。

もう1人の方は、こちらは居酒屋のカウンターで一緒になったお兄さん。
僕は滅多に1人で飲みに行かないのですが、たまたま寄る機会があったときに楽しい出会いとなりました。
こちらの方はバーテンダーをしているのですが、近々辞めてヨーロッパのある国へ旅立つのだそうです。言葉も文化も分からないけど、行けばなんとかなるだろう…と。ダメなら帰ってくればいい、今しかできないことをしたい、と話していました。

二人を見て、もつ感想はその方それぞれだと思います…評価するものではないですが、言ってしまえば賛否両論あるのかなと。
ただ僕個人としては、なかなかカルチャーショックと言いますか…確かにリスクのある生き方かもしれないけど、なんだかんだ人間生きていく方法はいくらでもあるのではないか、と。
可能性の広さというか…自分が納得していれば周りの雑音など関係ない、と言葉にせずとも語るような生き様はなかなかに輝いているように見えました。

無論、目に見えない苦労はわんさかあるんでしょうけどね。

休みも保証もないけど独立してよかった

さて、人様の例を出したので最後は自分の例を…。
僕自身の話をしますと、僕が最近「常識は必ずしも当てはまらないのかも…」と思ったのは仕事の休みについてです。

一般的に、週休2日はほしいし年間120日は休みたいし連休はどこかでまとめてほしい。
それが普通の考え方だと思います。というか、今も休みは多いに越したことはないと思っています(笑)
ただ、今に関して言えば週休2日なんて遠い夢のまた夢のような日々…僕が仕事の合間にもタイミーとか勉強会とか入れてしまうせいでもありますが、ワーカーホリック気味なぐらいに働いてしまっています。
実際、つい仕事をしてしまうというのはフリーランスの悩みあるあるだそうです。

ですが、では勤め時代と比べて仕事の負担はどうかというと、正直今の方が楽しいし負担も少ないと感じています。
仕事にかけている時間は圧倒的に今の方が多いのですが…結局のところ、自分が主導的に入れた仕事は負担にも感じにくいようです。

今のところ所得も勤め時代から比べると減る一方ですし、今後うまくいく保証も安定する保証も何もないですが、それでもフリーになったことを後悔したことは無いんです。

もちろん、これを続けていった先に後悔する日が来ないとも限りませんが…自分自身としては、たとえバッドエンドになってもやらないよりやってよかったな、と思えることは確信があります。

今のような考えに至ったのは僕の場合38歳になってからですが…先に挙げたお二方のように、もっと若くして挑戦という道を選ばれた方をうらやましいと思うこともあります。
でも38歳までの自分は世間の常識で頭が止まっていて、フリーランスなんて不安定な生き方はありえないぐらいの認識でした。それぐらい、頭に固定観念として叩き込まれている…それこそが常識という概念だと思います。
その常識を疑うというのは簡単なことではありませんが、その先に待っているのは自分に合った生き方なのかもしれません。

…と、いろいろと書いていますがもちろん僕が今の生き方を選べたのにも諸々の環境的条件もあります。
まず独身というのは正直大きいですね…家庭持ちだと恐らく独立には踏み切れなかったんじゃないかと。
それと、休みが少なくても平気な理由の一つに、これまで散々好きなことをやってきたという自負もあったりします。趣味や遊びはたっぷり楽しんできたので、そこまで貪欲に求めなくてもひとまずはいいかな…と思えたりしています。サッカー観戦の時間だけは確保していますが。

つまりはこうした諸々の条件も含めて、やはりその人にあったライフスタイルというのは人それぞれなんですよね。
何が正解か、誰にも答えは分かりませんが大切なのは世間の価値観だけでなく、自分にとって何が大切かを忘れないことなんでしょう。
特に発達障害という、凸凹のある特性をもちながら生きていく以上は一般的な物差しに捉われすぎない、自分を活かす生き方を見据えることも大切だと感じるこの頃です。

まとめ

結局長い記事になってしまいました(笑)
たまにはこんな、学術的根拠に拠らない記事もよいかなと思い直近の出来事を思いながら書いてみました。

常識を疑うこと、というテーマで今回は仕事の選択について主に書きましたが…実は仕事に限ったことでもないように思っています。
恋愛や人間関係、子育て、趣味や嗜好、あらゆる活動において固定観念に縛られないで考えてみる、というのは大切なことではないでしょうか。その方がきっと、楽に考えることができたり視野が広がったりすると思うのです。

割と思うがままに書いてしまい、まとまらないところもあったりで恐縮ですが…長い記事を最後まで読んで下さりありがとうございました☆

まの☆言葉と発達障害と心の専門家さん

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