こんにちは、まのです。
まずは2025年あけましておめでとうございます!本年が皆さまにとって健やかで実り多き一年となりますように。
前回の記事でも触れましたが、この現代社会において『頑張っていない』という方は1人もおられないと僕は思っていますので。
忙しなく苦しくも、楽しみもある。そんな子憎たらしい人間社会を今年も生き抜いて参りましょう。
まのぱぺ相談室と、運営者である僕、まのはいつでも一生懸命生きておられる方の味方です。
すみません、まのはまだ初詣に行ってません
皆さまは毎年初詣に行かれますでしょうか?
僕はこのコラムのタイトルなどからも伝わるかと思いますが、初詣推奨派です。
とか言いつつ…実は初詣を大切なことと思うようになったのはここ数年です。そういう意味ではだいぶ、にわか初詣推しの人です。
なにせこんな記事を書いておきながら1月4日の本日の時点で初詣に行っていませんし…例年も元旦から気合を入れて向かうタイプでは全くもってありません。
まあまあ、初詣ってお正月三が日に行かないといけない訳ではないはずですので。
簡単に調べたところ、地域もよりますが1月15日までが望ましいとか、節分までに行けたら範囲内だとか、幅があるようです。
いずれにしてもこれから行っても胸を張って初詣、ということで問題なさそうです。
僕はここ数年、初詣に行くのは一月の一週目か二周目の可能なら平日で行ってますね。だって人混み嫌なんですもん。ワガママですみません。
その代わり、と言うとおかしいかもしれませんが、僕はお正月に限らずちょこちょこと神社に出かけます。
こんな、気になる居酒屋を見つけたから寄って行った的なノリでいいのかと思いつつ…きっと神様は寛大な方だと思うので、立ち寄ったこと自体を褒めてくれるでしょう。そう信じたい。
さて、僕がものすごくニワカながら神社に寄るようになったのは…ご利益への期待や信仰心というものも無いわけではないですが、正直それに加えてメンタルへの好影響を感じているためというのも大きいです。
実感もあり、科学的にも納得のいくものだったりしますので…以下そのメリットというものをご紹介していきますね。
神社に行くメリットその1 自然欠乏症候群対策&デジタルデトックス
最初に言っておくんですが、この見出しの『自然欠乏症候群』というのは医学的診断名ではありません。
あまりこうして名前を出すと、いかにも大問題という感じがして怖いのでやや抵抗もあるのですが…ただそういう概念(考え方)があるのも事実なので言葉として紹介させて頂きます。
自然欠乏症候群とは、その名のとおり『自然に触れる機会が少ないことで心身に悪影響が出る』という考え方ですね。
個人的には、まあそりゃそうだろうな、という印象ではあります。
というのも当相談室の公式LINEでも以前、原始人的生き方から遠のくほど人にとってストレス、という話題をご紹介したりしました。
原始時代からのあまりに急激な生活環境の変化に対し、現代人は生物としての進化・適応が追いついていないわけですね。
遠くを見て野生生物を捕まえていたライフスタイルが、スマホやPCを見つめるスタイルに変わり、でも身体の進化は追いついていないのでその分眼精疲労やストレートネックといったものに悩まされ、姿勢が崩れて腰痛にも悩まされる。
こうした分かりやすい例もあれば、目に見えない影響も無限にあると言ってもいいわけです。
ですので、自然に触れる機会の不足⇒心身(特にメンタルへの影響)というのは十分考えられそうです。
とはいえ現代には現代のメリットがありますし、いきなり自然の中に飛び込んで行っても全ての方が幸せになれるわけではないでしょう。
僕だって、今さらyoutubeやサブスクで聞ける音楽が無い環境に戻れるとも思いません。
となると、日常的にもし自然が不足しているライフスタイルだとしたら…どこかで自然を摂取しておきたいわけです。変な日本語ですが。
そこで僕が意識して向かうのが神社、というわけです。これは皆さまのお住まいの地域の事情にも寄ってきますが…僕は幸い近所にトトロの森を感じられるようなそれなりに壮大な構えの神社がありまして。
手軽に通えるありがたいスポットとして、疲れたときなどに意識して行くようにしています。
もちろん自然に触れる機会、となると方法は様々あります。観葉植物を置くこと、プチ家庭菜園をしてみること、公園に行くこと、近場の落ち着ける場所を散歩するなどなど…なんでもいいわけですが。
個人的に、神社は次に挙げる『非日常感』というキーワードも相まって好きですね。
そして非日常だからこそ、この神社にいる間ぐらいはスマホから離れるぞ、という目標設定もしやすいです。
それが見出しにシレっと書いているデジタルデトックスについてですね。
自然欠乏症候群の話とも通じますが、電子機器に触れ続けるというのもこれはこれで便利さと引き換えにストレスも生んでいます。
今回のテーマと離れるので、深追いしての説明は控えますが…これもまた、原始時代に無かった生き方だからストレスである、と理解してもらって大筋間違いありません。
僕は電子機器から離れたい気持ちはやまやまなのですが、今の仕事上スマホが手放せませんので…こうした些細な機会を見つけては『今はスマホに触らない』と設定するようにします。
もしスマホに触ることが日常化し、トイレにもお風呂にも寝室にも持ち込んでいる、という方がおられましたら…これは一度試してみると良いです。
短時間スマホを触らないという時間を作るだけで、いかに自分がスマホを触り続けているか、また、スマホが無いことでの発見や身軽さというものも感じられたりしますよ。
神社に行くメリット2 非日常感でリフレッシュ
二つ目のメリットは、非日常感が手軽に感じられるということです。
疲れたときや辛いとき、リフレッシュしたいーと誰しも思うわけですが。皮肉なことに、疲れているときだからこそリフレッシュって難しかったりします。
考えたくもない悩み事がつい頭に浮かんできてしまったり、気合いを入れて出かける予定やぱあっと遊ぶ予定を組んだのにかえって疲れてしまったり。
というのも、心が苦しいときって脳も弱っていますから。
リフレッシュしたいのに、リフレッシュしようと自分を制御するシステム自体が弱っていたりします。そうすると結局なかなか疲れがとれない…気分が変わらない。ヘタすると、かえってダメージが大きくなってしまった、なんていうことも起きます。
そこで大事になってくるのが非日常感、というキーワードです。
脳が疲れてしまっているのなら、自分の内側でなく外側から変えていこうという発想ですね。
人間って、臨場感というものにとても騙されやすい生き物です。
どんなにテレビを通じて世界遺産や憧れの人のライブを見ても、実際に対面したときの興奮には遠く及びませんよね。
それだけ環境に左右される人間の特性を、利用してうまく自分を騙すというのもときに大切です。
そういう意味で、非日常感という点では旅行などのイベントごともとても良いきっかけにはなりえるのですが…イベントごとの注意点は上でも挙げた、かえって疲れることが多々ある、ということです。
一方で神社は、人混みなどに注意をすれば強く負担になる可能性は低いです。もちろん立地や時間的余裕などにも寄るとは思いますが。
神社のもつ、ゆったりとした時間の流れや澄んだ空気感。それらを浴び、そこに行けた自分に満足すること。
これだけでも心身が受けるメリットは大きいです。だからこそ、こうした場所はパワースポットと呼ばれたりするのかもな、と思ったりします。
何も有名で立派な神社でなくとも構いません。ご近所で、いつもは素通りしているような小さな神社でも良いですので…ふらっと立ち寄ってみるのはいかがでしょうか。
ついでに参拝をしていくのもいいかと思います。目を閉じて、ゆっくり自分の願いや目標や、神様への挨拶などを思い浮かべる。
その行為自体も、適度に刺激的でリフレッシュにつながりますよ。
おわりに
というわけで、今回は神社に行くことで心身が得られるメリットをご紹介しました。
信神深い方からすると、メリットがどうとかの理由で尋ねるのは邪道なのかもしれませんが(^_^;)
行った際には神様や管理されている方々に失礼にならないよう、マナーは守っているつもりですのでご容赦頂けると幸いです。
最後に改めましてですが、本年もまのぱぺ相談室をよろしくお願いいたします!
まの☆言葉と発達障害と心の専門家さん