こんにちは、まのです。
今日は月1回訪問させて頂いている、保育園でのお話しを書いていきたいと思います。
(ちなみに前回コラムにした9月のお話しはこちら↓)
園長先生の心配
いつもの流れとして、僕たちセラピストは午前中に園児さんたちと関り午後に保育士さんたちとミーティングという方法をとっています。
園児さんたちがお昼寝している間、保育士さんたちも本来はそれぞれお仕事があったり休憩をとられている時間ですので…貴重な時間を使わせて頂いていると毎回思います。本当に、毎日第一線でお子さんたちと向かい合っている先生方には頭が下がる思いです。
さてこのミーティング、僕たちセラピストだけでなく園長先生もときに熱く、ときに冷静に、ときに愛情深く、保育士の目線からの考えや助言を若い先生方にして下さります。
僕にとってはそれもまたとても勉強になり、医療と違った引き出しからの発想を学ばさせて頂く機会となっています。
その園長先生の言葉の1つが、今回とても印象に残ったことでもあります。
不特定多数の方が見ることのできるコラムですので、多少ぼかさせてもらいますが…意図としては
『大人側の正解や不正解、異常か正常かという視点で子どもたちを見過ぎていないか』
ということです。
誰か特定の人に向けてというより、世間的風潮や支援者側の考え方について話されたことですね。
これは本当に共感できることと言いますか…常日頃、自分自身も気を付けていないといけないと思うことです。
たとえば今回頂いた相談の中で『お昼寝ができず、布団の中でずっとソワソワして過ごす子がいます』というものがありました。
その子は以前からフォローさせて頂いているお子さんであり、寝られない原因については心当たりがありました。
ですので、僕からお伝えしたのは
・疲れるまで遊んでいるのに、寝ないでいる方が大変であり不自然なこと。つまり、お子さんがそうしたくてしているというより、心身の不調によって寝られないと考えた方がよい。
・心身の不調について考えられる具体的な原因(個別の事情になるので詳細は伏せます)
・原因の対策とともに、寝られないときは寝なくてもいいなど、落ち着ける受け皿を作る
といったことでした。
さすがというか、先生方もすでに寝付かせることには固執しておらず、寝られないときは絵本を一緒に読む時間を作るなどして対応されているとのことでした。
さてこの件を例にしてみると…
『大人側の正解や不正解、異常か正常かという視点で子どもたちを見過ぎていないか』
という視点で考えるとどうでしょう。
もし仮に、『昼寝の時間は全員寝ないといけない。それができないのは問題』
と考えてこのお子さんに支援をしてしまったら…
大人側が考える解決策は『どうやったら寝られるか』『寝ないなら叱るか』といった視点になってしまうでしょう。
でも実際には、お昼寝ができないというのはお子さん自身が望んでそうしているわけではありません。
午前中走り回って遊んだ子がお腹いっぱいになり、布団を用意されて電気も消してある。この状況で寝ない方が本来はずっと難しいわけですので。
であればこの子にとって必要なことは
『寝られないのであれば、寝なくても安心して時間を過ごせる方法』を考えてあげることです。もちろん寝られるならそれがベストでしょうが、それは平行して考えることであって、すぐに求めるのはこの子にとって酷な状況でした。
専門的な視点で考えるのが僕らセラピストや心理師の役割ですが、専門職がいないときであれば、この視点をもつだけでお子さんへの接し方は変わるのではないかなと思います。
そして『寝なくても安心して時間を過ごせる方法』を考えてあげると、その結果安心して寝られるようになったりもします。(原因にもよるので、そこは専門的な視点が必要なこともあるかと思いますが)
大人の都合を子どもに押し付けないために
お昼寝はお子さん方が心身ともに休むことが目的であって、全員が同じ行動をできないといけないというわけではないですよね。
ところがそこがごちゃ混ぜになってしまうことが多い社会情勢のようなものに対して、園長先生の
『大人側の正解や不正解、異常か正常かという視点で子どもたちを見過ぎていないか』
という嘆きが表れたのではないかなと思います。
お子さんたちを支援するとき、大切なのはその子自身にどんな不利益があって、どうなればその子の将来にとってプラスになるかどうかだと思います。
大人側が困るから寝かせる、なんとなくおかしい気がするから寝かせる、寝かせないといけないから寝かせる…となってしまっては大人の都合を子どもに押し付けているだけで支援にはなりえません。
もちろん大人側も無制限になんでもできるわけではないので、限られた人手、時間、環境などのなかで可能な手段というものを考える必要があります。
そのバランスの中で、子どもにも守ってもらうべきことは守ってもらう。そういった視点が大切だと思っています。
学校教育にしても家庭でもそうですが、『先生の言うことを聞ける子が良い子』『みんなと一緒に規則を守れることが偉い』といった価値観になってしまいがちです。
というか、一昔前の学校の方針がそうだったのでその環境で育った現役世代がそう考えるのは自然なことではあるんですが…。
少しずつ、大人側の物差しを押し付けずに1人1人のお子さんを見てあげられる教育方針というものに目が向けられつつある気配も感じてはいます。
とはいえ長年植え付けられた感覚が急に抜けるはずもなく、現状はまだまだ見解の分かれる時期でしょう。
こうした柔軟な価値観や他者を受容する考え方が広がると、大人も子どもも生きやすい社会になると思います。他者を受容できれば自分の受容にもつながりますからね。
人の数だけ正解があるし、自分も選ぶ自由がある。そんな生き方が定着する世間になってほしいなと願い、微力ながらも発信やカウンセリングを続けていきたいと思っています。
まの☆言葉と発達障害と心の専門家さん