※ 症状が出たときのことをかなり生々しく書いています。影響を受けてご自身に負荷がかかりそう、と思われた方は閲覧しないことをお勧めします。
※ 以前noteに載せた記事を一部修正して載せています。
それほど遠い過去ではない某日のこと。僕は言語聴覚士として病院でお子さんや大人の方のリハビリの仕事に就いていました。
その日は前日までと何も変わらず出勤をしました…少なくとも、自分ではそのつもりでした。
いつも通りユニフォームに着替え、リハビリスタッフ用の控室へと向かいます。
そこには自分の机があり、席について回覧書類のチェックなどをしつつ一日が始まるわけですが。
背中が痛い。
右側の背中が痛むのです。この痛み、僕が自分の本心に気づくより早く出るストレスサインです。
面白いもので僕が新卒だった頃。
当時は支援相談員の仕事をしていましたが、僕が電話で話していると野次を飛ばしてくる理学療法士さんがいました。
高齢者施設だったんですが、ショートステイの相談の電話を受けていると
「空いてるからって受けていいんだったら誰でもできるよね」
「うちはいつからホテルになったんだ」
と、僕に聞こえるように言ってきます。
今なら言い返せます。「こっちだって新卒なりに頑張ってやってんだよ!」と。
いやそこまで過激な言い方はしないですが。ただ、僕だって職員に嫌がらせをしようと思って利用者を受け入れている訳ではありません。
この話をこの記事で掘り下げるのはやめておきますが…ともかく、当時の僕には相当なストレスだったのです。
何が面白いって、この理学療法士さんの席が僕の右後ろでした。
そして野次が飛ぶと理学療法士さんがいる、背中の右側が痛んだのです。
あれ以来、十年以上経っているのに僕のストレスサインはいまだに背中の右側というのだから、人間ってオモシロ!と思ったりします。
急な背中の痛みに自分でも戸惑いながら、リハビリ科の朝礼に向かいます。
と、今度は耳がおかしくなってきました。押し付けられるような圧迫感と耳鳴り。
ヤバイな…と、一旦言語訓練室に避難しました。数少ない一人になれる場所です。
椅子を四つほど並べて一度横になったら最後、起き上がれなくなりました。
それでも30分ぐらいでしょうか。
目を開け、同僚に相談します。「ちょっとヤバイかもしれん…」と。その間も僕は机に上半身を預け、勉強に疲れ切った浪人生のような姿です。
精神的にしんどい日って、働いている以上やっぱりあるわけですが僕にとってヤバイかどうかの大きな判断基準は『このまま子どもたちの前に行ってリハビリができるか』です。
辛い日でも、子どもたちや利用者さんの前では笑顔でリハビリをするわけですが…。
この日は思いました。そんなことをしたら絶対に泣いてしまうと。
職場の心理師さんに相談し、心療内科を受診することになりました。
もともと、年に一、二回ぐらいですがストレスがヤバイと感じた時は心療内科を受診して薬をもらいながら仕事をしていまいた。
ですがこのときはもう、懇願するように医師に言っていました。
「まとまった期間休んだ方がいいと、自分で思います」
医師が返します。
「一旦、職場から距離をとりましょうか」
そうして一か月の休職へと至りました。
一か月職場に行かなくていい、と分かり心からホッとしたことを覚えています。
この受診をしているときの光景で覚えていることがあります。
受診している心療内科は駅前にあります。受診が終わったあと、「なにか食べなきゃ」と僕は思います。
お腹は空いていませんし、むしろ痛むぐらいです。
ただ、食べないと早く元気にならない、という一種の強迫観念のようなものもあってどうにか食べようと考えます。
駅のお店をぐるぐる回り、でも食べたいものは見つかりません。
ふと、パン屋さんが目に留まりました。パンなら食べられるかも…
と思ったのですが、どうしてだか店に入る気になれません。
パンを見て値段を確認し、トレーに乗せる。
ただそれだけの行為がとても難しいことのように感じます。
できなかったらトレーを戻して店から出るのか…それって変な人だな…とかぼんやり考えます。
普段なら人目も気にしないし、パン屋さんで買い物をするなんて日常なのに。
結局パンを買うかどうかで迷い、駅をぐるぐる何周もします。
買わないなら買わないで電車に乗って帰ればいい訳ですが、なぜだか「帰りたくない」とも思っています。
ゾンビ状態で一時間近く駅を徘徊したころでしょうか。限界がきました。
急に歩いているのも辛くなり、その場で寝込んでしまいたい衝動に駆られます。
そこまで来てようやく電車に乗り、帰宅する選択に至りました。
電車の中でもぐったりです。ただ座っているだけでも体力や精神力って消耗しているんだと実感します。
こうして文章にするとやっぱり健康な状態ではなかったですね…。
これを書いたときには一か月間の休職の予定でしたが、結局僕は復帰まで三か月かかりました。
なかなかに辛い経験だったわけですが…しかしこうして相談を受ける仕事をするにあたり、このときのことは確実に役立っています。
当然それまでも、適応障害や鬱といったものに対しての知識はあるわけですが、自分がいざなると実感が違いますので…相談をされる方の気持ちが身に染みて感じられます。
こうしてカウンセリングの仕事をする上で、きっと自分にとって必要な過程だったのだろうと思っています。