こんにちは、まのです。
今回のコラムでは、自閉症特性の原因について考えてみたいと思います。
これはなかなかに深い話で…まず原因といっても、原因というものをどのレベルから扱うかで視点も分れるように思います。
脳のはたらきの偏りが原因、と言えばそうなのですが、ではそのはたらきの偏りはどこからくるのか?
また、具体的にどのシステムや神経系に偏りがあるのか?
ホルモンや消化管機能など、他の要因は本当に関係がないのか?
この辺りを踏まえると非常に複雑です。
それゆえに、自閉スペクトラム症の原因についてはっきりした言及がされていないというのが現時点での世間一般的な見解だと思います。
ですので前提として、はっきりとした答えはまだ分からないのですが…僕の個人的予想は、いずれエピジェネティクスという考え方が主流になっていくのではないかな、と思っています。
そこで今回はこのエピジェネティクス(エピジェネティック)という理論と発達障害の関連について、僕なりに解釈できた範囲で書いていきたいと思います。
現在考えられている自閉スペクトラム症の原因の仮説
本題のエピジェネティクスという話題の前に、これまで研究されてきた自閉スペクトラム症の原因仮説について挙げていきたいと思います。
もったいぶるわけではなく…これが後のエピジェネティクスの話にも関わってきますので少しお時間をください。
また、それぞれを解説すると途方もない量になってしまいますので、今回はひとまず列挙する形に留めさせて頂きます。
これらについては当まのぱぺ相談室公式LINEで少し詳しく触れています。
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さて、ざっと挙げていくと下記のようなものが考えられます。
・脳の構造などの先天的な原因
・テストステロンの影響
・オキシトシンの影響
・感覚統合処理の異常
・消化管機能の影響
・フェノール化合物やグルテンなど食べ物の関与
・デジタルコンテンツとの長時間の接触
など…公式LINEで過去に取り上げたものを中心に挙げてもこれだけの数があります。
実際にはここに載っていない仮説もあるのでしょう…正直なところ、僕が全てを把握するのは難しいと思っています。それほどに諸説あり、様々な視点からの研究が進められています。
ただ一方で、どれも決め手に欠けるというのが実際のところです。
どれも正解とも言え、どれも正解ではないとも言える、というような状況でしょうか。
考えてみるほどに不思議なことですが、発達障害というものの特性はときに単一的なもので説明がつくようにも見え、また違うときには複数の要因が絡んでいるとしか言えないような状況が起こるようです。
エピジェネティクス理論とは
そこで出てくるのがエピジェネティクスという考え方になります。
この理論の始まり自体は1940年代ということで…驚くほど前から提唱されていたものということになります。
しかし、この考え方が広がりつつあるのはここ10年前後なのではないかな、という印象をもちました(研究畑の方は別として)。
僕自身が最初に耳にしたのは1~2年ほど前だったと思います。
この考え方の何が画期的なのかというと…
従来、遺伝子というものは絶対的なもののように考えられてきました。生き物の設計図という言葉もあるように、もって生まれたDNA配列は変わらず、それが才能であったり個性であったりという呼ばれ方をします。
発達障害も、この観点をもとに行くと生涯変わらず固定されたものである、という考え方が納得しやすいものになります。
(個人的には、仮にこのDNA配列が絶対的なものとする考え方であっても発達障害が固定的だとは考えていませんが)
エピジェネティクスという考え方では、遺伝子はスイッチがオンとなることで発現され、このオンオフが行われるかどうかには環境がとても大きな影響をもつというのです。
言い方を変えると、遺伝情報というものが存在するのは確かですが、それで全てが決まるわけではない。
環境次第で発揮される遺伝子とされない遺伝子がある、という理論なんですね。
たとえば前者の遺伝情報が絶対だという考え方からすると…
生物の進化は『たまたま足が速い個体が狩りに有利で生き残った』⇒『チーターは足が速くなっていった』と考えられますが。
エピジェネティクスという考え方からすると
『環境的に足を速くする必要があった』⇒『環境に適応するため足を速くする遺伝子がオンになり、チーターは足が速くなった』
と考えることができます。
これぐらい従来の見方と考え方が変わってくる理論ということですね。
ちなみにエピジェネティクスのエピは『~の上に』という意味があり、ジェネティクスは『遺伝学』です。
エピジェネティクスという言葉は『遺伝子情報の上に、別の影響(修飾)する要素がある』とした考え方からできています。
そして、その別の要素として挙げられているのが環境というわけです。
発達障害が先天的と言いきれない理由
さて、ここまでの流れを踏まえるとこのコラムの主旨が見えてくるかもしれません。
つまり、従来一般的に認識されてきている『発達障害は生まれ持った先天的な特性である』という考え方に疑いの余地が出てきそうです。
というより、いずれ否定される可能性の方が高いのではないかと考えています。時間はかかるでしょうが…。
従来の『発達障害=先天的』とする考え方を否定する根拠として、大きいのは発達障害だと診断がつく方の急激な増加があります。
仮に発達障害を完全に先天的な要因だとするのであれば、その発症率が大きく変わることは考えづらいです。
しかしよく知られているように、年々発達障害と診断される方は急激に増えています。
もちろんこれには早期発見という視点の定着、発達障害というもの自体の認知度の向上、といった影響も十分考えられます。
ただ一方で、世界的にも近代化が進んだ地域ほど発達障害に該当する方が増えている、という研究があります。
これに関しては調査機関が行った調査によるものですので、受け手側の認知度などの影響はないはずです。
つまり、従来の遺伝的な考えの上に、近代社会の要素(先に挙げたような仮説の数々)が絡みその方の特性の発言に関与している。まさしくエピジェネティクスの考え方が、今のところもっとも腑に落ちる説明ではないかなと思うわけです。
なぜ原因論が大切か
最後になぜこのように原因について考えることが大切か、をお話ししたいと思います。
なにせ、現実問題として障害特性によって困っている方からすれば、原因がなんであれ解決策を考える方が重要ではないか、と考えるのはとても自然なことだと思いますので。
なぜ原因が大切か…大きな視点から言えば、原因が分ればそれを取り除いたり遠ざけることで予防に役立つ、ということはありますね。
ですがこれは研究的な視点であり…日々1人1人の方の悩みと対峙する僕のような立場や、現在悩んでいる途上の方にはあまり関係がないとも言えます。
もっと身近な視点でいくなら…仮にエピジェネティクスが真相だとすると、人の成長というものへの見方が大きく変わってくるように思うからです。
従来の考え方では、障害特性というものは固定的であり経験値やスキル習得で埋めていくにしても限界がある、という結論になりそうなものですが。
エピジェネティクスという考え方でいくと、生きている限り人を構成するものはDNAレベルですら変化しうるわけです。また、適切な支援や環境設定というものの大切さもより重要性の高いものとなってきます。
そもそもとして人間が変わるというのは簡単なことではありませんが…それでもいくらか希望のある話のようにも感じます。
おわりに
さて、今回はややサイエンスな話も入って小難しかったかもしれません…。
個人的にいつも複雑に思うのは、発達障害に関連する情報というものが一人歩きしすぎてしまっているということです。
そもそも、僕も便宜上で発達障害と書いていますが、本来は神経発達症という名前が正式なものです(この話も近いうち書こうと思っています)。
医学用語が改訂されるということはなんら珍しいことではないのですが、発達障害に関しては社会的に定着しすぎてしまい、今になって言い換えるのも難しいという状況のように感じています。
たとえば、一昔前は成人病と言っていたものが、生活習慣病にサラッと変わりましたが、そのように通常はいつの間にか置き換わっていくのですが…神経発達症に関しては一向に変わる気配がありません。
それぐらい、発達障害に関しては名称や概念が社会の中に定着しきっているのだと思いますが、大事なのはこうした概念や情報は常にアップデートされていくということです。
いまだ分からないことが多く、まだまだアップデート真っ最中な中にありながら…発達障害という言葉やなんとなくのイメージだけが先行しすぎて定着し、不要な不安や悩み、生きづらさのタネになってしまっているように感じるときもあります。
(もちろん認知されたことによるメリットもたくさんありますが)
少し今回の本題と逸れてしまいましたが、まのぱぺ相談室ではできるだけフラットに情報を取り入れ、新しい知識や正確な情報を発信していけたらと考えています。
その一環として、今回は『発達障害=先天的な障害』とされがちな中で、本当にそうか?という疑問にチャレンジしてみました。
小難しい話ながら、最後まで読んでくださりありがとうございました☆
まの☆言葉と発達障害と心の専門家さん