こんにちは、まのです。
今回はこういう仕事をしているとよく質問される、「カウンセリングってどんな効果があるの?」「話したって結局解決しないんじゃない?」という疑問に対してお答えしてみたいと思います。
自分としては当然、カウンセリングの効果を疑うものではないのですが…それを人に分かりやすく伝えるとなるとこれがまたなかなか難しい。
どうにかイメージしやすく、且つ適切な言い方というものが無いかなと思っていたところ…ふと思い立ったのがタイトルにもあります、マラソンという喩えです。
カウンセラーは監督・給水所・ファン・ペースメーカー・他選手・カメラマン…いずれの役割も担う
さてマラソンという例えでいくと、相談をする方は選手となります。
当然走っている目的は様々ですし、走りたくて走っている方ばかりではないにしろ…何かしら現状を変えたい。状況を良くしたいという思いがあります。
基本的には苦しい道中にあり、ゴールテープを少しでも早く切りたいと懸命に進んでいます。
ではカウンセラーがマラソンにおける何の役割を担っているかというと…選手以外の全てと言っても過言ではありません。
マラソンというもの自体はしようと思えば選手1人でも走ることは可能です。今からスタート、として42.195キロ先のゴールを駆け抜ければゴールです。
そういう意味で、確かに周りの助けがなくともマラソンという競技は可能です。
ですが。
たとえば一刻も早くゴールしたいと思って焦ってペースを上げすぎてしまった結果…ガス欠を起こしてゴールが遠のいてしまうかもしれません。
ペースメーカー(ランナーの前を走りペースを作る人)がいた方が、そのリスクは大幅に減ります。
焦ってオーバーワークになっていないか、着実に前進しているか…カウンセラーはペースメーカーの役としても力を注ぎます。
あるいは懸命に走っているのだけど、ガムシャラに走ってもなかなか効率の良い走りができない…そんなときは監督の出番ですね。
選手にあった練習メニューや作戦を考え、より実践的であったり科学的根拠に伴った指導をします。
カウンセリングにおいて、指導という言葉は不相応かもしれませんが…状況によって知識と経験をもとに適切な助言をさせて頂くことも役目です。
また、監督の考える科学的なメニューは選手をケガから守る役割もあります。心のケガといえば、負荷がかかり過ぎることによって起こる抑うつや適応障害、各種メンタル不調ですね。
どんなにスタミナがあり、精神力に長けた選手であっても…フルマラソンを走り切る上で一度も給水をしない選手はいないと思います。
1人で頑張ったものの挫けてしまいそうなとき…カウンセラーと話すことが給水ポイントの役目を果たせるのではないでしょうか。
仮にペースを守り、自分で作戦を考え、脱水症状も気合で乗り切るから大丈夫!というランナーがいたとして。
それでも1人で走るのは辛いです。伴走するランナーがいるからこそ、孤独な戦いではなく人とつながっているという強さが生まれます。自分の苦しみを理解してくれる存在というものが人には必要です。
あるいは沿道で応援してくれるファンの声援が、一歩を後押ししてくれることもあると思います。
カウンセラーはときに伴走役にときにはファン役にもなり、ランナーが少しでもゴールへ早く近づけるよう共感し、共に戦います。
また、マラソン中継にはカメラマンもいますね。
苦しい道中、走っている当人は本当に必死で心身ともにボロボロの状態かもしれません。人はそもそも自分で自分のことを知るのが難しい性質があるのに、これほど必死な状態だと自分の状態を把握するなんてとても難しい。
そんなとき、中継カメラは一歩引いた目でランナーの姿を捉えます。カメラから見ると、選手当人が気づかないような変化をいち早く発見できたりします。
カウンセラーは、ときに中継カメラのように本人だけでは気づきづらいことに気づくきっかけとなる存在かもしれません。
一番怖いのは誤ったゴールへたどり着くこと
最後に、これはマラソンではあまりなく、むしろ悩みを抱えている方にとって要注意なことですが…この場合で一番怖いのは、ようやく苦労して辿り着いたゴールが誤ったゴールだった、という状況です。
マラソンは道が目に見えているのでコースアウトなんていうことはそうそう起こりません。
ですが一方で目に見えないのが人の心理であり、社会との関連であったり生きていく方向性であったりというものですので…。
正しい方へ向かっていると信じていた道が、自分の望まないゴールへ続く道だった。
というのではあまりに報われません。
まだ頑張れると思って頑張りすぎて心がパンクしてしまったり、自分を過度に責めて苦しくなってしまったり、他人の言動に傷ついて身動きがとれなくなったり…。
そうやって苦しい状況で走っていると、ランナーの目線は足元に向きます。
足元を見ながら走っていると、ゴールの位置すら見誤ってしまうんですね。
苦しみながらもどうにか進んできたゴールの先は、自分が目指した納得のいく場所であってほしいものです。
目指しているのはどこか、カウンセラーは相談者さんと一緒に目標を考え、願う方向を見失わないようにしています。
加えてカウンセラーは、視線が落ちてゴールを見失いそうになっているランナーに再度勇気をもってもらい、視線を上げる役割も担うことができると思います。
顔を上げることで、再度広い視野でゴールを見据えやすくなります。そうやって正しい道へ進みやすくしていくこともカウンセラーの役割の1つではないかと考えています。
1人でも走れなくはないけど、カウンセラーがいるとより速くより安全に走ることができる
と、このような感じでマラソンに例えると少し伝わりやすくなるかな…と思ったので書かせて頂きました。
とはいえこれだけ書いておいて、僕自身はマラソンに特に詳しいわけではありません(^_^;)
マラソン知識の粗があるかもしれませんがご容赦ください。
もちろんカウンセリングや相談というのはケースバイケースですし、カウンセラーの考え方や用いる技法、相談者さんのご希望も様々です。
ですので細かく見るとツッコミどころもあるかもしれませんが…大枠という意味では間違っていないと思います。
結論としてまとめると…心の葛藤や精神的危機、人間関係や仕事、学業、家庭など現実的に困難な場面と向き合うとき。
確かに1人で頑張ることもできなくはないわけですが…カウンセラーがいることで、ゴールに速く辿り着けたり、ケガや道を誤るリスクを減らしてマラソン完走を目指すことがしやすくなるという感覚です。
特に、僕が多く対応させて頂いている発達障害(神経発達症)や愛着といったことについては、言葉のイメージだけが先行してしまっていたり、インターネットやSNS上の専門性が疑わしい情報に振り回されてしまったり…悩む当事者の方々からすると非常にストレスのかかりやすい状況だと思っています。
そうした混乱を感じたときには、僕への相談という方法を選んで頂くのも手だと思います。きっとお力になれますよ☆
アメリカでは歯医者に行く感覚で「ちょっと調子悪いんでカウンセリング行ってくる」という文化が根付いているそうです。
日本がそういう時代になるのはこれからだと思いますが…現時点で十分すぎるほどカウンセリングの必要性は日常的にあふれていますので。
辛い思いをしている方が、自分の力を発揮しやすくするため、自分を守るために、上手くカウンセリングや相談というものを利用できる時代が早くくるといいなと思っています。
まの☆言葉と発達障害と心の専門家さん